ついに審議における賛否を公開!しかし…

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 1/25付け発行の議会報「ふじさわ市議会だより」から議案等審議結果一覧に各会派・議員の賛否の状況がわかるようになりました(最後の8頁)。これは大きな進歩で、私が前任期の時議会報編集委員長として取り組みながら叶わなかったことが実現しました。
 しかしよりによって大切な所にミスが出てしまいました。それは「議案51号」の補正予算案に「みんなの党が反対」となっている所です。本議案にみんなの党は賛意を示していたのですが、直前に行った討論に力が入り、着席したばかりで次の採決の時の起立が遅れてしまったのでした。もはや修正は利きませんが、ここで経緯を報告させていただきます。

 さて、先回は大先輩である坂田道氏の葬儀の件を書きましたが、その後1/16(月)、17(火)は千葉市の市町村アカデミーで行われた「議員特別研修」に同僚の友田議員と参加しました。全国から集まった300人以上の議員と、地方自治法、福祉政策(選択受講)、国の政治動向、マクロ経済について1泊2日でみっちり学んできました。
 1/18(水)は100条委員会が開かれました。中間報告で「不当」と判断した土地の購入について、その動機などを解明する為に元の所有者と口利きをした前市議会議員同席の証人尋問も行いましたが、特に新しい事実を引き出すことはできませんでした。証人尋問は今回で終了し、1/末に土地の再鑑定が出てくる予定なので、それを受け3月に最終報告をまとめることになりました。

 1/20(金)は厚生環境常任委員会の視察で、葛原第2最終処分場の状況(上部利用の準備)と現在建設中のリサイクルセンターの工事状況を、冷たい雨が降る中確認しました。1/21(土)は湘南台で文化センターで行われた「藤沢市地域防災推進大会」に参加し、実際津波に流されて九死に一生を得た漁師さんもパネラーとして招き、臨場感あふれるディスカッションとなりました。1/22(日)は日曜日の障がい者の居場所つくりとして8年間活動している「浜とびっ!」のもちつき大会につき手として参加しました。この3日間の様子はFace bookにUPしています。

 1/25(木)はこども文教常任委員会で「藤沢市八ヶ岳野外体験教室」の現状を視察しました。一昨年の事業仕分けで「廃止も含め検討」という結果が出てからその将来について議論がありました。今回委員会で視察を行うことで、今後一定の方向性が出せるようにする狙いがありました。前任期の時に会派(ひとつの志)で視察を行って以来7年振りでしたが、私としては藤沢市ならでの義務教育プログラムとして、藤沢にない自然体験の場である本施設の存続価値は大いにあると考えています。

バス
移動は観光セールス兼ねて「いつでもおいでよ江の島号」で
エントランス
施設エントランス
ベランダから
本日は八ヶ岳は顔を出さず
学校食
夕食メニューの学校食を試食

「青風院乗海道喜居士」

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 今日のタイトルは1月5日に亡くなった大磯のレジェンドサーファー坂田道(おさむ)さん享年74歳の戒名です。「青風院」と書いて「サーフィン」と読むそう。いい波に乗って喜んでいる道さんの姿が浮かんでくる、本当に坂田さんらしい戒名です。
 一昨日がお通夜、昨日が告別式で、述べ500人を超える方々が弔問に来られました。70歳を過ぎてなおバリ島でサーフィンするといった、皆が目標とするようなサーファーでした。一昨年位から肺機能が低下し通常は酸素ボンベを装着していましたが、台風が来るとそれを外してカブネ(鎌倉)にパドルアウトするといった、波乗りへの情熱が何より力になるということを教えてくれました。

 
 ここで坂田さんの経歴を私なりにまとめてみますが、聞き取りの部分もありますのでその辺はご容赦願います。
 昭和12年(1937年)2月に海軍少将だったお父さんの関係で広島県の呉で生まれ、少年時代は藤沢市の片瀬海岸で過ごしました。戦争中藤沢駅でグラマンの機銃掃射を受け、その時パイロットと眼が合ったそうです。もっとも弾を当てる気はなかったようで、「あいつらは面白がってた」と言っていました。その後藤沢一中から湘南高校に進みました。石原慎太郎さんが3級上、ノーベル賞の根岸教授が2級上ということですから、坂田さんが如何に強靭な体力の持ち主だったかが分かります。早稲田大学法学部に進みハイソサエティーオーケストラに所属し、トランペットを吹いていました。大手特殊鋼メーカーに就職し、購買畑一筋で役員まで務めました。
 その中で海そしてサーフィンは常に意識・生活の中心にあり、大磯に移ったのは20歳前だと思いますが、オリンピックの昭和38年(63年)に独自に研究したサーフボード第1号を完成させた後、60年代に6枚のボードを自作しました。昭和39年(64年)に「大磯ビッグウエ―バーズ」を4人で結成し、昭和40年(65年)に日本サーフィン連盟を立ちあげ、以来理事長を15年間、相談役を17年間務め、サーフィン創生期を支えそして発展に尽力を発揮してきました。特に昭和41年(66年)の鴨川での第1回全日本選手権を成功させたことは大きな功績だと思います。

 ここ10年位は地域活性化・ボランティア活動に積極的に参画し、大磯のまちおこしの重鎮という印象もあります。平成元年(89年)10月1日に私が「稲村クラシック」のビデオを撮っている時にカブネから帰ってきた坂田さんを見かけたのが初めての出会いでしたが、それから約15年経ち、今度は湘南地域全体の活性化活動である「湘南会議」でほぼ月1回のペースでお会いするようになってから7年を過ぎたところでした。

 まだまだ昔話も色々聞きたかったし、次世代につなげていくアイデアも沢山あったはずです、そして何より坂田さんのあの「笑い声」は多くの人を明るくする力がありました。坂田さんを失ったことは非常に残念ですが、遺志は我々が継いでいくしかありません。私も歳を重ねましたがそれでも20歳若いのです。今からでも鍛え直すことで、少しでも坂田さんに近づけるよう努力して行きます。安らかにお眠りください。合掌

遺影  ボード
遺影は琢磨仁さんがホクレア号の上で撮影  会場に愛用ボードや自作ボード(右2枚)を展示

坂田さんの大笑い1
これも琢磨仁さんがホクレア号の上で撮影。笑い声が聞こえてくるよう
バリの坂田さん1







70歳を過ぎてもバリを攻める!

新年状況報告

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 昨日、本日と1月5日に亡くなったレジェンドサーファー坂田道(おさむ)氏の通夜・告別式が執り行われました。非常にお世話になった私は、両日設営・受付のお手伝いを行いました。こちらはFace bookに投稿・コメントしていますので、ここでは元旦以降の新年の状況をレポートします。

 1月2日1月3日1/2,1/3と恒例の箱根駅伝の応援です。両日とも2年振りに応援リーダーに指名され、「都の西北」のリードを取らさせていただきました。
 母校は往路は明治大に競り勝ち2位でしたが、復路はそのまま東洋大の独走を許し、更に駒沢大、明治大にも敗れ4位に終わりました。
 終了後応援参加者有志で新年会を行い、その流れで先輩のお宅にお邪魔し、更にドラゴンボートチームの新年会に出席しました。 










市賀詞交換会田中会頭 1/4は年始回りや年賀状書き等お正月らしく過ごしました。
 1/5は市の賀詞交換会に出席し、その後藤沢地方市場、社会福祉法人光友会の賀詞交換会にまわりました。
 夕方から市長選に向けた情報交換を含めた「政策的新年会」に出席しました。
(写真は田中藤沢商工会議所会頭挨拶)

 1/6は以前勤務していた会社のグループ全体の賀詞交換会に来賓として招かれ、「子供たちが夢を見れるよう、先ずは大人が夢を持って仕事をして行きましょう」と新年の挨拶をさせていただきました。
 その後中西けんじ参院議員、塩坂源一郎県議と「みんなの党新年街頭演説会」を藤沢駅南口で行いました(友田市議は100条委員会打合せの方に出席)。
 夜は昨日とは別の顔合わせの、市長選に向けた情報交換を含めた「同世代新年会」に出席しました。

1月7日秋葉台辻堂地区賀詞交換会謡 1/7は秋葉台球技場の人工芝化のオープンセレモニーに出席しました。大幅なスポーツ環境の向上が図られ、活性化が期待されます。
 その後辻堂地区の賀詞交換会に出席し、今回は実行委員のお一人の謡「高砂 千秋楽」が披露され、趣のあるスタートとなりました(写真参照)。
 終了後、居住しているマンションの管理組合主催のもちつき大会に向かいましたが、既につきあがっていて、食べるだけの参加となりました。



出初め式梯子乗り出初め式虹色放水 




 1/8は午前中消防出初め式に列席し、終了後坂田氏の大磯のご自宅にお悔やみに伺いました。
 その後SNS推進の打合せを行い、夕方からは顧問を務める「藤沢市ラグビーフットボール協会」の新年会に出席しました。
(写真は消防出初め式の様子)















成人式外成人式市長挨拶成人式成人の主張 1/9は成人式です。息子が20才で該当していて、出掛ける前に庭で妻交え3人で写真を撮りましたが、逆光処理がうまく行かず、きれいな記録に残すことができませんでした。
 式典自体は落ち着いており、また会場周囲も虚勢を張った恰好の者は少なく、大勢の新成人が楽しそうに過ごしていました。
(写真は上から「会場前に集まった多くの新成人たち」
「式典会場舞台 市長のお祝い」
「実行委員会が企画したの成人の主張 オンエア中」)
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