100条委員会での証人尋問を終えて

 昨年の10/6に初めての証人尋問を行った「100条委員会」は、2/21の第16回で最後の尋問となりました。
 中間報告では「市議会議員(当時)の口利きに端を発した不当な土地購入であった」と結論付けられ、最終報告に向けて「購入動機」と「購入価格の妥当性」が最終報告に向けての調査のポイントでした。

 「購入動機」については先月に地権者や口利きをした市議会議員(いずれも当時)らを呼び再尋問しましたが、浮かび上がってくる事実はありませんでした。
 そして今回の「価格の妥当性」ですが、委員会としてあらためて土地鑑定した「正常価格2,760万円」と今回の尋問結果を基に判断し、すべての調査を盛り込み3/28の2月定例会最終日に最終報告を行う予定です。
 
 さて中間報告後の「購入動機」ですが、これについては「藪の中」の感があります。ほとんどの委員やマスコミは2008年の市長選結果との関係をイメージしていますが、証人尋問というツールしか持たない委員会としては突破口を開けることができませんでした。

 「価格の妥当性」に関してですが、私としては「固定資産税評価額」に注目しています。公社の依頼で当時鑑定を行った鑑定士が「市が課税の根拠としている評価額(約9,000万円)に対し、市が大幅に安い価格で購入するとしたら自己矛盾である」と発言していました。今回の公社による購入は「公拡法」に基く手続きであり、国が定める公有地取得における損失補償基準にてらすとそれなりの額が出てきてしまう可能性があります。その辺の分析を100条委員会がどう行うかです。(委員の中に民・民の取引と混同してしまっている論調も見られたり、「公拡法は関係ない」などと、法的な公社の設置根拠を理解していない発言が出たりしていますので要注意です)
 逆に公社側の鑑定の矛盾点としては、「公有地の取得であるので(公権力の行使前提で)生産緑地の解除は記載しなかった」というのは理解できるものの、ならば「なぜ10区画の宅地分譲の図があるのか」ということです。 公社の依頼ですから目的が何であれ公有地としての鑑定で問題ないと思いますが、その鑑定の結果で出てきた図面が分譲地であることについては、鑑定士の説明も委員の突っ込みもありませんでした。
 
 ここでちょっと事を難しくしているのが、ある委員の身内(といっても元市議会議員)が起こしている「用地買取差し止めを求める行政訴訟」です。「価格の妥当性」について100条委員会と裁判の2本の検証が走っている状況になっていて、鑑定士の証言で「裁判に関係するのでこれ以上申し上げられない」との発言が出てしまっています。今回の100条委員会の証言がその裁判に証拠提出・採用されるのかどうかわかりませんが、その委員の質問内容に「裁判」をチラチラ感じてしまったのは私のバイアスでしょうか。 

クリップファイル№2「アーカイブズと政治の不在」

 原子力災害対策本部や政府・東京電力統合対策室が決定過程の文書を残していなかったことで、昨年4月施行の「公文書管理法」がぜん注目を浴びました。毎日新聞の毎週日曜日掲載の「時代の風」という囲み記事で、東京大学の加藤陽子教授が「記録を大切にしない風土の根幹に政治不在があり、合理的・適正な意思決定ができない危うさ」についてまとめていました。

 ちょうど東大でアーカイブズに係るお仕事をされている方が町内会にいらっしゃるので目に着いた記事ですが、る政治の核心部分を「中央と地方の間で権限と予算を配分する力であり、国民の利益と義務を分配する行為とまとめられように、要求に優先順位をつけるための選択と決定の行為」とわかりやすく定義していました。
 ここから「本来、国家が政策決定を合理的かつ適正に行うためには、過去の類似事案の詳細な調査・検討が大切で、比較を可能とする長期統計や数値データの蓄積が絶対に必要」とし、「そのためには適正な判断を支えるに足る十分な記録が迅速に提供されて初めて可能となる」とアーカイブズの重要性を説いています。

 そこで「日本において記録が破棄されたり隠蔽されたりした歴史的背景は中央と地方間で権限と予算を配分する力、国民の利益と義務を分配する力、すなわち政治が日本になかったことを意味している」と指摘し、「右肩上がりの成長期はパイを増やし続けることで分配の優先順位をつける決断を回避しえた(ごまかせた)」と結論づけています。

 最後部分は重く受け止めるべきで、もはや右肩上がりが望めない現在では、政策決定の上での合理性をしっかり説明できる政治・政治家が求めらているということを自覚させられます。  

クリップファイル№1 「指導者 考」

 「クリップファイル」というカテゴリーを作り、ノートに書き留めておきたいと思ったことをブログにアップしておき、アーカイブズとして役立てたいと思います。

 第1回目は読売新聞の「指導者 考」という企画の2/11朝刊1面の記事、「第一部 識者に聞く №9」で直木賞作家の佐藤賢一氏(43)がフランス革命と日本の現状の類似性を感じ警鐘を鳴らしています。以下引用します。
 
 『民主党は選挙に勝ちたいがために、その場しのぎでまとめたマニフェストに縛られることになった。フランス革命でも、高い理想を掲げた人権宣言が足かせとなり、選挙制度をめぐって議会が空転した。その末に国王が処刑され、恐怖政治を招くまでの本末転倒に陥った。
 新しい政治勢力は実績がないため、民衆を安心させようと高い理想を大盤振る舞いする。だが、言った以上はやれという不満が出て、現実離れした方向に走り、無理が生じる。人権宣言は今読んでも素晴らしい人類の宝だが、フランス革命では災いの種にもなった。』と総括し、『政治は言葉によって成り立っている。言葉のない政治はありえない。だが、調子に乗って吐いた言葉は、天に唾するように、為政者を往々にして苦しめる。指導者は、このことを肝に銘じておくべきだろう。』と締めくくっています。
 
 市長選の前日ということもあり、考えさせられた一文でした。
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